戻る
「花すみれ」

法話Ⅱ
法話←   →法話Ⅰ
 =令和7年 (2025年) =
(1月) <今、ここ。>房常晶
(2月) <本当の「供養」とは>檉歩
(3月) <光の仏にあう>松下蓮
(4月) <私の価値観の物差し>泉阿弥華

 =令和6年 (2024年) =
(1月) <鬼>三島見らん
(2月) <照らされて、かえりみる>禿奈穂
(3月) <生・老・病・死を生きる>竹崎桂一
(4月) <敬うということ>足利栄子
(5月) <「死」について>田澤仁美
(6月) <念仏申すべきもの>永寶晴香
(7月) <いのちのはなし>佐々木友美
(8月) <顛倒を生きる>市野智行
(9月) <自力のひと>篠由希子

 =令和5年 (2023年) =
(1月) <聞法の生活>池崎方子
(2月) <すべてのものはつながっている>西藤絵里子
(3月) <お寺の掲示板を通して>四井真知子
(4月) <悲しみが開く世界>水野朋人
(5月) <無限のいのち>河村尚子
(6月) <いのちの願い -法蔵菩薩->四衢雅美
(7月) <願いの中で生きる>森田恵利
(8月) <思えば遠くへ来たもんだ>藤原恵
(9月) <亡き祖母を縁として>巌城孝順
(10月) <報恩謝徳の御仏事>長紀子
(11月) <どんなときも念仏申す生活を>橘出
(12月) <おたんじょうび、おめでとう>富樫沙織

 =令和4年 (2022年) =
(1月) <「死」に遇うということ>武宮創志
(2月) <私を照らすひかり>江馬雅臣
(3月) <仏法に遇う>浅井正樹
(4月) <坊守のつぶやき>太宰信子
(5月) <人は迷惑をかけずには生きられない>草野悦子
(6月) <出会い>小早川凡親
(7月) <素直になれない私の本当の願い>藤祐樹
(8月) <掲示板>富重裕子
(9月) <生まれてきたということ>立島直子
(10月) <さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし>大橋尚代
(11月) <生きにくい娑婆だなぁ>元尾教恵
(12月) <柔軟心>為郷量淳

 =令和3年 (2021年) =
(1月) <さみしいということ>大橋宏雄
(2月) <聞法という生き方>見義智証
(3月) <グラデーションの中で>南枝尚美
(4月) <思い出>本多真
(5月) <自分の都合に合わせる>磯野恵嗣
(6月) <うまくいかない毎日の中から>圓山亜美
(7月) <疑う心>池田裕臣
(8月) <今ここで出会う法事>草野萌
(9月) <念仏相続>早嵜和典
(10月) <また来年もお参りしてね>青木玲
(11月) <仏法聞き難し>松扉覚
(12月) <僧伽に遇う>仁科洸

 =2020年 令和2年=
(1月) <北海道開教百五十年
    現如上人の来道の足跡を訪ねて>照山大暁
(2月) <たまに、ふと念仏申すといいよ>松原覚
(3月) <お念仏に生きる>尾畑香織
(4月) <縁起の道理>白山勝久
(5月) <未曾有の事態において>寺西賢静
(6月) <我が身を知らされる>亀谷哲
(7月) <異なるを嘆く>明本弘治
(8月) <つながりの中で>阿部信人
(9月) <あらゆるご縁の中で生かされる~わあし~>森田孝作
(10月) <分断を超えて>木村慎
(11月) <自損損他のとが、のがれがたく候う>福島覚
(12月) <恩を報るということ>本間義敦

 =2019年 平成31年=
(1月) <赤だこ一人居て喜ばは二人と思ふべし、
二人居て喜ばは三人と思ふべし、
          (御臨末の御書)
その一人とはだれ?
>宮崎美智子
(2月) <私のお念仏>内山真明
(3月) <教えに遇うということ>巌城孝一
(4月) <凡夫ということ>有馬唯人
 =2019年 令和元年=
(5月) <柔らかな光に包まれて>花園一実
(6月) <仏法は人を通して伝わる>江馬雅臣
(7月) <如来の本願、称名に顕る>光川眞飛翔
(8月) <お寺の女の子に生まれて>比叡谷紗誓
(9月) <見えないことに出あう時>藤政朋宏
(10月) <得度式と「親さま」>関根正隆
(11月) <呼びかけの証>青木玲
(12月) <親鸞からのメッセージ>武宮法紹

 =2018年 平成30年=
(1月) <いのちの歴史>藤原猶真
(2月) <選ぶこころ>三浦祐真
(3月) <おばあちゃんと仏さん>滋野康賢
(4月) <邊地懈慢にとどまりて>川那辺融
(5月) <気がつけば弥陀のてのひら>土屋慶史
(6月) <イスラエルのおばあさんの話>藤谷博紀
(7月) <打ち立てたものと奪ったもの(「不能遠観」の私たち)>高名等
(8月) <いかに煩悩に無自覚か>乙部大信
(9月) <大人と子ども>藤島直
(10月) <「共に」を願って>谷祐真
(11月) <別れからはじまるであい>藤祐樹
(12月) <どこへ往き何に生まれるか(真宗門徒の終活の姿を問う)>渡邉智龍

 =2017年 平成29年=
(1月) <地獄に立てる救い(いざとなったら仏法など放り出す、
「私」というものの本来の姿は
そのようなものだが、
仏法は・・・。
「臨終の善悪をば申さず」)
>瓜生崇
(2月) <ミカンを分ける(分け合うということの中に
「私が所有するいのち」などは
一切ないことをみる。)
>五荘徹真
(3月) <私が救われる(カヌーでの遭難に 聖人の流罪を重ね、
なにを「いのち」として人生を送るのか?、と)
>新川隆教
(4月) <ご縁でできた私、そしてあなた(生まれてこのかた
無数の人との出遇い[=ご縁]でできてきた人生、
そのうちの一人でも欠けたら、
今とは違う私やあなたです。)
>大桑啓
(5月) <「お念仏を喜ぶ」(「往生要集」中からの文を引用して)>立島秀哲
(6月) <幸せに生きるためのヒント(佛教では、
仏の教えのことを鏡に譬えますが、
仏の教えの鏡は、
我々の内面を映し出してくれます。)
>林光太郎
(7月) <唯仏是真(いい天気ってどういうこと?
自分の都合によって見ている世界を
仏教では「穢土」と説いています。
自分の都合を中心にすれば、
世界は穢れていくのです。)
>前田慈之
(8月) <一すじのうどん(臨終にまつわる「うどん」のお話。)>福嶌英子
(9月) <少年たちとの出会いをとおして>藤井真隆
(10月) <生活の中で>神内正見
(11月) <「病活」を考える>堀多樹子
(12月) <摂取不捨の心>竹中光史

 =2016年 平成28年=
(1月) <浄土に還帰せしめけり>加藤彰教
(2月) <宗祖としての親鸞聖人に遇う>本明義樹
(5月) <枕元に聞こえるお念仏>伊奈恵祐介
(6月) <名告るということ>田中将登
(7月) <愚かさの自覚>倉井光弥
(8月) <わたしの御遠忌>安田文香
(9月) <天人の襖絵>小早川凡親
(10月) <別院の鐘>澁谷由美
(11月) <いのちのあり方について>浜口和也
(12月) <み名を称える>豊島信

 =2015年 平成27年=
(1月) <縁>前田慈之
(2月) <それも私のせいじゃない -報恩感謝の念仏->大塚展彦
(3月) <私に開かれる浄土の世界>渡邉信
(4月) <いのちは誰のものか>狐野やよい
(5月) <子育てを通して>松下蓮
(6月) <名前>池崎方子
(7月) <宮商和して>鷲慧
(8月) <「いま」を生きる>小川直人
(9月) <僧伽>赤松崇麿
(10月) <出会いに育てられる私>高間弘昭
(11月) <報恩講を迎えて>足立幸子
(12月) <大切なものは目に見えない>宮武真人

 =2014年 平成26年=
(1月) <傲慢な私>織田紀江
(2月) <仏縁と出遭う -亡き人とご縁をいただく->伊藤洋美
(3月) <待っていてくださったほとけさま>比叡谷真
(4月) <お念仏を頂いて生きる>江馬雅臣
(5月) <わたしのしごと>竹原了珠
(6月) <その身になって考える>田原智子
(7月) <万山薬草>稲垣裕之
(8月) <手を合わせる、ということ>佐賀枝立
(9月) <「いさかい」「あらそい」の絶えない世界>伊達俊幸
(10月) <終活について思うこと>枝川慶悟
(11月) <私は、独りではなかった -阿弥陀さんとの出遭い->糸山公照
(12月) <現代家族を考える>平原晃宗

 =2013年 平成25年=
(3月) <兵戈無用>高名等
(4月) <願いに照らされて>日野幸子
(5月) <死を超えて、生かされて>中村直美
(6月) <如来にはからわれて>駒沢暁子
(8月) <なんまんだぶつ -祖母が教えてくれたこと->立島直子
(9月) <無明長夜の灯炬なり>仁科高遠
(10月) <「ただ念仏」の教え>畠山浄
(11月) <心の氷>小林智光
(12月) <お内仏に学ぶ>松岡望水

 =2012年 平成24年=
(1月) <再出発の知恵>柴田崇
(2月) <仏法聴聞は急げ>寺谷覚栄
(3月) <我が身を問う仏事>狐野利文
(4月) <教えを聞く理由>谷大輔
(5月) <声なき遺言>安本浩樹
(6月) <人間という存在>藤川秀行
(7月) <つまらない人生だった>瓜生崇
(8月) <親鸞聖人の視線>曽我円成
(9月) <慚愧できない>木名瀬勝
(10月) <「正信偈」をお勤めする意味>澤田見
(11月) <譬えば、人ありて>森伸介

 =2011年 平成23年=
(1月) <摂取不捨>澤面宣了
(2月) <仏様への願い事と感謝>池田英二郎
(3月) <お念仏の生活>植木政隆
(4月) <仏さまはすぐそばに>佐合智遵
(5月) <私に帰る旅>五島満
(6月) <家族感覚から阿弥陀仏を感じる>小谷信裕
(7月) <東北地方太平洋沖地震に想う
     -阪神淡路大地震被災者として>五百井正浩
(8月) <仏の慈悲 -震災を受けて>藤内淳心
(9月) <病患をたのしむ>飯田真宏
(10月) <現代の闇 心の闇>三好浩一
(11月) <いのちの繋がりの中の私>小野賢明
(12月) <闇の中に輝く光>岡田克也

 =2010年 平成22年=
(1月) <仏によって出遭える場所>藤井義信
(2月) <話し合いで縮める距離>横田典
(3月) <正業>藤兼量
(4月) <悠久の教え>浅井誠
(5月) <煩悩具足の凡夫>光木健
(6月) <感謝をすることとは>磯野淳
(7月) <私が私になるために>武田絹枝
(8月) <凡夫とは、共に生きるもの>前田文雄
(9月) <阿弥陀様におまかせして>渡邉尚子
(10月) <恒に懺悔する>本田康英
(11月) <恩徳讃>酒井勝彦
(12月) <心の痛み>山吹照久

 =2009年 平成21年=
(1月) <「聞く」対話のすすめ>安田文香
(2月) <はじめの一歩>藤場芳子
(3月) <生き方に気づく場>藤浪遊
(4月) <「聞く」ということ>廣小路直人
(5月) <「かわいい」っていわれたい>藤本了勝
(6月) <お寺の保育園より>鷹橋賢淳
(7月) <宗教とは生きる力>長谷川誠
(8月) <「迷い惑う」ことの大切さ>日野章
(9月) <話上手と聞き上手>大桑啓
(10月) <繋がり合いを見つける学び>本田励
(11月) <私にとってお寺とは>福田大
(12月) <出あうということ>信楽弘道

 =2008年 平成20年=
(1月) <海・空・大地>増田亮
(2月) <長男の出産を通して>高木淳善
(3月) <量らない仏に願われて>但馬弘
(4月) <眼を頂戴する>井上教真
(5月) <今、いのちがあなたを生きている>加藤彰教
(6月) <親の思い子知らず、子の思い親知らず>杉山賢
(7月) <環境を相続する>采睪(わけみ)晃
(8月) <わが身に出遭う>永寶晴香
(9月) <伝わるということ>山田英明
(10月) <小さな、かわいいお師匠さん>吉岡俊幸
(11月) <さるべき業縁のもよおせば>前田慈之
(12月) <一羽の雛が育てた四羽の雛>藤原摂子

 =2007年 平成19年=
(11月) <阿弥陀さまからの”預かりもの”>吉村隆真
(12月) <お念仏と「しあわせ}について>土屋慶史

 =2006年 平成18年=
(1月) <自分も変わりたい>渡邉延江
(2月) <無条件>近藤正辰
(3月) <忘恩>東舘紹
(4月) <ひびけ・・・いのちのうた>北條有朋
(5月) <いのちの繋がり>中島浩彰
(6月) <日没>竹原了珠
(7月) <清い私になりたいこころ>松岡雅則
(8月) <いのちの願いに生きたい>四雅美衢
(9月) <歩みの中で>渋谷良法
(11月) <弥陀の本願、わたしの本願?>清田元裕

 =2005年 平成17年=
(1月) <ウソをつく私>乾文雄
(2月) <願いをかける身から願いを聞く身へ>宮武真人
(3月) <「子育て」から学ぶ>秋月慧
(4月) <聞法の機縁>谷大輔
(5月) <死を想え>澤田見
(6月) <迷い道>三浦統
(7月) <大地の教え>服部貴和
(8月) <今を生きる>和田英昭
(9月) <一人の師との出遭い>冨田英見
(10月) <どこを向こうか?>松江長親
(11月) <読み聞かせを通して>沙加戸崇
(12月) <父からの贈り物>蓮容健

 =2004年 平成16年=
(10月) <どうして、お浄土に往生して仏に遇わなければいけないの?>廣先秀行
(11月) <世界でたったひとりの私>藤並慈
(12月) <生命の終わりから「いのち」に出会う>藤原雅夫
戻る
法話←   →法話Ⅰ