巻頭の書 「一念多念文意」より 大谷妙子 書 =平成20年 (2008年)= (4月) <聞其名号というは、本願の名号をきくとのたまえるなり。>p.534 (5月) <本願をききてうたがうこころなきを「聞」というなり。>p.534 (6月) <きくというは信心をあらわす御法(みのり)也。>p.534 (7月) <信心は如来の御ちかいをききてうたがうこころのなきなり。>p.534 (8月) <歓は、みをよろこばしむる也。喜は、こころによろこばしむる也。>p.534 (9月) <一念というは、信心をうるときのきわまりをあらわすことばなり。>p.535 (10月) <至心は、真実ということばなり。>p.535 (11月) <真実は阿弥陀如来の御こころなり。>p.535 (12月) <回向は、本願の名号をもって十方の衆生にあたえたまう御のりなり。>p.535 =平成21年 (2009年)= (2月) <願生は、よろずの衆生、本願の報土へうまれんとねがえとなり。>p.535 (3月) <彼国は、かのくにと言う。安楽国をおしえたまえるなり。>p.535 (4月) <即は、つくという。そのくらいにさだまりつくということばなり。>p.535 (5月) <真実信心をうれば、すなわち、 無碍光仏の御こころのうちに摂取して、すてたまわざるなり。>p.535 (6月) <「摂」は、おさめたまう、「取」は、むかえとると、もうすなり。>p.535 (7月) <正定聚のくらいにつきさだまるを、往生をうとはのたまえるなり。>p.535 (8月) <正定聚のくらいにさだまるを、不退転に住すとはのたまえるなり。>p.536 (9月) <真実信楽(しんぎょう)は、他力横超の金剛信なり。>p.536 (10月) <念仏のひとをば大経には、次如弥勒とときたまえり。>p.536 (11月) <横は、よこさまに、というなり。超は、こえてというなり。>p.536 (12月) <念仏信心の人も大涅槃にちかづくとなり。>p.536 =平成22年 (2010年)= (2月) <かのくにの名字をきくに、さだめて仏事をなす。>p.537 (3月) <念仏衆生は、金剛の信心をえたる人なり。>p.537 (4月) <念仏の人は無上涅槃にいたる>p.537 (5月) <現生護念の利益をおしえたまう>p.537 (6月) <弥陀仏をば不断光仏ともうすなり>p.538 (7月) <真実信楽のひとをば是人ともうす>p.538 (8月) <心光のうちに、ときとしてすてたまわず>p.538 (9月) <本願の名号を信ずべし>p.539 (10月) <一念は功徳のきわまり>p.539 (11月) <一念に万徳ことごとくそなわる>p.539 (12月) <しらざるに広大の利益をうる>p.539 =平成23年 (2011年)= (2月) <不定聚は自力の念仏>p.540 (3月) <正定聚の人のみ真実報土にうまる>p.540 (4月) <称名の遍数(へんじゅ)さだまらず>p.540 (5月) <この経は「無問自説経」ともうす>p.540 (6月) <釈尊出世の本懐(ほんがい)をあらわさん>p.540 (7月) <弥陀選択の本願>p.540 (8月) <よろずの仏にほめられたてまつる>p.540 (9月) <一心は金剛の信心なり>p.540 (10月) <専念は、一向専修なり>p.540 (11月) <行住座臥不問時節久近(くごん)>p.541 (12月) <群萌は、よろずの衆生という>p.542 =平成24年 (2012年)= (2月) <真実之利ともうすは弥陀の誓願をもうす>p.542 (3月) <一乗ともうすは本願なり>p.543 (4月) <無碍ともうすは煩悩悪業にさえられず>p.543 (5月) <真実功徳ともうすは名号なり>p.543 (6月) <この如来を、南無不可思議光仏とももうすなり>p.543 (7月) <如来は光明なり光明は智慧なり>p.543 (8月) <功徳の大宝海を満足せしむ>p.543 (9月) <「功徳」ともうすは、名号なり>p.544 (10月) <本願力を信楽するをむねとすべし>p.544 (11月) <如来のちかいを信知す>p.545 =平成25年 (2013年)= (3月) <浄土真宗のならいには、念仏往生ともうすなり>p.545-6 |
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