<国家の暴力>どうしてか地球上では
国家だけが暴力を許されている。
 <戦争について -人はなぜ人を殺すのか->人間だけが無用な殺戮をします。
人間の攻撃は、
幻想である自我の安定や拡大のためですから、
現実に何ら危害を加えてくる危険のない相手にも
脅えるのです。
どこまでいっても終局的に安定することがなく、
ここまでやれば満足ということはなく、
きりがないのです。
 <集団と狂気>集団は、常に、
その中の賢明な個人よりはもちろん、
平均的な個人よりも愚かである。
集団の一員として行動するときは
必然的にわれわれは愚かなことを
仕出かしがちであることを
知っておかなければならない。
 <神より人間>21世紀、人は今、<生き方の多様性>に
<いのち>の有り様を求めているが、
その前に突如現れかねないのが国家の暴力である。
国家暴力はそのような思いを粉砕するのである。

<バカの壁 -「話せばわかる」は大嘘->バカの壁というのは、ある種、
一元論に起因する。
バカにとっては、壁の内側だけが世界で、
向こう側が見えない。
向こう側が存在しているということすら
わかっていなかったりする。
 <万物流転 -私は昨日の私ではない->「ゆく河の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず」
これは、永遠の「自己同一性」追求のおろかさを
気づかせる言葉である。
人間は変わらないという誤った大前提
ここに集団共同幻想の闇が潜んでいる。
 <漂流する魂たち>正しい目的は手段の悪を免責する。
真理を独占すると信じる集団の、
そうした内密の教義に
私たちは歴史の中で、経験の中で
何度出会ってきたことか。




 現代世界の三分の二が一元論宗教の社会だと言うことは
ロシアのウクライナ侵攻(2022年)はいうまでもないが
独裁国家としての芽は
民主主義国と雖も一元論宗教の社会であれば、
それはあるということである。

 なお、キリスト教やイスラム教などの一神教社会はもちろんであるが、
民族宗教もその範疇である。
また、権力の集中し易い共産主義思想もその範疇である。

 このことは、歴史が我々に教えているところのものである。
 


 しかし、
民主主義、民主主義と慣れぼけしているのだろう。

右記の記事に出会って、
民主主義国(と思っている)アメリカの
かってのアフガニスタン戦争やイラク戦争について見る眼は、
侵攻する側からの見る眼であった。

 当時は、今回のロシアのウクライナ侵攻のほどには、
関心を抱かなかった。
アメリカの侵攻は、
当初半ば悪政への民主主義のこらしめにも思えたか。

 なおまた、
地理的に離れたところの戦況なので
スポーツ観戦のような思いの眼でもあるか。

 こうした見方の背景には、
どこかに政治的・地域的・宗教的・民族的差別の眼が
あるのかも知れない。

 核を盾に脅し、情報をフェイクして国民を愚弄する・・・
こうした戦争のやり方は、
今後、核を持った国の他国侵略常套手段であり得るのだろうか。
日本周辺にも火種はある。

 戦争自体が犯罪であるが、
侵略のなかでの民衆への暴行・殺害・略奪などなど、
これは明らかに犯罪なのであるが、
核をチラつかせる国のこうした犯罪への処罰には
対処し難い面があるのはもどかしい。



 気づけば、権力絡らみの「フェイク」が世界のあちこちに。

安倍の「フェイク」、
トランプの「フェイク」、
プーチンの「フェイク」、などなど・・・

 これらの「フェイク」は権力から発せらているだけに、
とてつもなく混乱を産んでいる。

 国家権力とはかくも厚かましくうそぶいて
平然と振舞える座であるのだ。

 平然と振舞える座であるだけに、
これがポピュリズムと合体すると、
この座はとてつもない暴走を引き起こす。
 この暴走は、幻想という暴走エネルギーが
尽きるまで収まることはない。
 


      戦争にあっては、 戦争を起こしたそもそもの当事国は、 自国民に向けても、 国外に向けても、
     フェイク情報を発信する手法は 過去の戦争にあってもごくありきたりの手法ではあるが、
       技術進歩の21世紀の近時にあっては、 ネットでのSNSなどが 皮肉にも最適な手段となっていると言える。



 

 上記の各記事は、民主主義をよりベターな体制とみて、ロシアのウクライナへの軍事進攻をとてつもなく非であると
納得させるものであるのだが、ロシアをそうした行動へ駆り立てたものは何であったのか。
それを示唆する記事の一つが下記の道新に掲載された記事。
ロシアを擁護する気は毛頭ないが、確かにアメリカは第二次大戦後民主化を金科玉条として勢力範囲を広げてきたのだ。
それがソビエトの輪が切れたとは言え、ロシアは如何せんソビエトの血から解き放されたわけではなかったから、
民主化の輪とともに軍事同盟の輪が広がってきたことに神経を尖らし過ぎてしまったと言えるだろうか。
もし、これが反対の立場だったら、アメリカはどう対応するだろうか。
かって、キューバ危機という事件があったが・・・。


 この項は<宗教ノート>という主眼からは食み出るものだが、
人類は地球温暖化という大いなる危機に対処せねばならぬ時代を背負っているのに、

今回(2022年2月)計らずもプーチンという愚格による蛮行に手を焼き、
それに対処するに温暖化防止が退行を余儀なくされている。

何故手が焼けるのかというと、
世界の戦争に対する概念が21世紀の今の時代にあっては、
人の生き方は種々の面における各種差別を廃し、
<多様性>を認め合うことにこそ人の生き易さはあるのだ
とする人権最重視思考で戦争を捉えようとするからである。

そもそも、これまでに民衆に多大な迷惑をかけなかった戦争なんてあったのか。
戦争要員に狩り出されるのも民衆なら、
戦場となって居住環境や田畑が蹂躙されたり、財を略奪されたり、
最悪命までも奪われるも、
被害を被った民衆には何の保証もなかったのが戦争というものであった。
従って、
プーチンの特別軍事作戦というのが、旧来型の戦争であるのに対して、
人権重視の戦争見解は住民に害をなす事象を戦争犯罪とする
見識のギャップにあるだろう。

戦争とは何か、権力を握る愚格が一人現れるなら、人権は吹き飛ぶのである。

人権とはそのように危ういものであるから、
これは常に育ててゆかねばならないものなのである。