・・・・・・・・・・
<岸田秀>国のために命を投げ出すことを美化するあらゆる思想が、
人類にとってもっとも有害な思想なんだ。
<日高敏隆>国のためというより、主義のため、ビリーブ・システムのためでしょう。
<岸田>そう。主義のため、理想のため、価値のために何かをするという思想こそ、
もっとも有害愚劣だというんです。
<日高>ローレンツコンラート・ツァハリアス・ローレンツ (Konrad Zacharias Lorenz, 1903-1989年) オ-ストリアの動物行動学者で、刷り込みの研究者。 近代動物行動学を確立した人物のひとり。は言っている。あらゆる戦争はすべて宗教戦争であると。
<岸田>人間は利害や打算では、過剰に破壊的なけんかはしない、たかが知れていますよ。
<日高>歩みよったまん中で手が打てる。宗教戦争はそれが出来ないんだ。
<岸田>いちばん被害を及ぼすのは、信念のけんかだね。
<日高>集団幻想による信念ですね。
逆にいうと、問題は、そういう【ビリーブ・システムなしに人間は生きられるか】、ということだ。
<岸田>まさに問題はそこなんだ。
たとえば殉教ね。信ずる宗教なり価値のために、
あれほどの拷問に耐える人間がどうして出るかということ。
価値とか理想を信ずることが、それほど必要かということです。
実際人間が「生きがい」を求めるということが、人間にもっとも大きな被害を及ぼす行動なんです。
生きがいを求めずに生きられる人間がいるとすれば、最も平和的な、人に迷惑をかけない人間なんですよ。
<日高>そんな人間は存在しないんじゃないの。そこが問題だ。
<インタビューア>そもそも人間は、どうして生きがいを求めるようになったんですか。
<岸田>人間にとって、生きているということがむなしいからですよ。
本能が壊れ、自然から離脱しているから、生命の歓喜が人間には欠落しているんだと思います。
生きがいを求めるのは、そのむなしさからの、自己欺瞞による逃亡なんですね。
<日高>さて、では、どうしたらいいのか。
<岸田>ぼくはせめて、生きがいを求めるのはいいことじゃない、犯罪的なことであるということを、まず説かなきゃいけないと思う。
思想改革ですね。価値のない人間は生きるに値しないという思想を変えなければいけない。
価値なくして、生きがいなくして生きることを、われわれは学ばなければならないと思うんです。
・・・・・・・・・・
<インタビューア>しかし、人間はその誕生の由来からして、もつべくして幻想と生きがいを持ってきたとすると、
それを捨てろというのは容易じゃありませんね。
<日高>そうなんです。ただね、人間にはその人間の属する文化によってつけられたある一つのビリーブ・システムが
"蛇口"としてはまっていて、それ以外にないという点については、動物の本能とまったく等価になってしまう。
だからもし、人間は動物とは違うんだといいたければ、"蛇口"をつけかえてみせてくれといいたいんです。
それは動物にはできないんです。蚕が桑を食う。今日は桑はいやだ、キャベツにしょうなんてことは絶対にできないわけだ。
もし、人間が動物より上の存在だといいたかったら、見事やってみろと・・・・・。
<岸田>"蛇口"をつけかえるということは今まで信じてきた価値を捨て、その価値のために自分の払ってきた努力を無駄だと
認めなきゃいけないということだから、弱い人間には耐えがたい。勇気のいることですよ。
・・・・・・・・・・ |