(17) 手筋と俗筋
筋、手筋
◎ 「手筋」は戦いの花形、といわれます。激しい接近戦になると、手筋がものをいう場合が少なくありません。極論すれば、戦いは手筋のやりとりと言ってもよく、レパートリーの多いほうが勝ちを制するようです。(前田陳爾)
◎ 「手筋」は攻めの急所、「形」は守りの急所。
◎ 「筋」と言い、「形」と言うけれども、石の急所を指しているのは同じです。筋と言う場合は攻撃的テクニックの意味が強く、形とは守りの急所を言うことが多いようです。(長谷川章)
◎ 守る場合は「形」、攻めるときは「筋」と言いますが、どちらも急所であることに変りありません。この急所の発見が、戦いの方向を決定的にするケースが多いのです。いや、多いどころでなく、すべての場合といい直してもいいでしよう。(工藤紀夫)
◎ 筋と形は表と裏の関係。要はどう打てば、最高に石を働かすことができるか、その一点に尽きます。(長谷川章)
◎ 手筋は戦いの花形です。手筋の形は多く、筋を外れたものを異筋といい、泥くさければ俗筋なんてバカにしますが、実際の盤上ではこのけじめは本質的にはないものです。(工藤紀夫)
◎ 手筋は定石とは違って、碁の本当のエッセンス。エッセンスだからあらゆる局面で応用が利く。(趙治勲)
◎ 手筋はいつも近所の事情を見ながら打ち、事情によって打ち方が変わる。(趙治勲)
◎ 石を捨てる考えがないと筋の認識は難しい。(関根直久)
◎ 筋の発見は一種のヒラメキだから、色々考えて試行錯誤の未、筋に辿り着いてもあまり意味がない。筋が良くなりたかったら筋を徹底して多く見ること。(関根直久)
◎ 手筋は、軽利きのほうから打つ。これが手筋の碁本原則。相手が変化の余地なく受ける利き筋(重利き)は、後に打つ。(酒井猛)
◎ 石筋には自分の石の形に当たる筋と相手の石の形に当たる筋(受け形の筋)とがありいずれか一方に偏る。(酒井猛)
◎ ムダな手を打たない、不必要なことを一切しないという態度が手筋を生み出す。
◎ ダメがつまってくると、思いがけない筋が活発に働いてくるもの。
◎ 手は作らなくとも出来るものと心得よ。(三村智保)
◎ 苦しいときこそ手筋の出番。
◎ 石の下はおもしろい手筋です。一般的には、石のやりとりは結果として考えられますから、石を取られてしまうと、そこで思考が停止します。この停止の線から発想がはじまる、そこが石の下の面白いところです。石のやりとりは結果ではなく、手段にすぎません。このことを理解して心がけないと「石の下」は発見できません。実戦で石の下はあまりできそうもないと思われるでしょうが、そうでもないのです。気づかないで過ごしてしまう場合が多いのです。(工藤紀夫)
◎ ほれてしまえばアバタもエクボで、平凡にやればいいのに筋ばって損をするなど、筋にほれて、こだわってはいけない。先行するものは、あくまでも正確なヨミ筋です。(工藤紀夫)
◎ 筋には、一目でピーンとくるものと、そうでないものとがあります。難易もありますが、これは見る側の棋力の高低にも左右されます。強くなるほどピーンが早いし多いのです。(工藤紀夫)
◎ 石の競り合いが始まると、力の強い人ほど正しい筋を見定めるのが上手です。(曲励起)
◎ 手筋の場合、よく着手の飛躍などといわれます。ひとつずつ連なって打ってはだめ、ということですが、これは味の本質を別の角度から捉えた言葉で、なにも着手が飛躍するからいい、というわけではありません。必然的に着手が飛び離れてくるのは、着手の省略から能率へと進む、手筋本来の道なのです。(工藤紀夫)
◎ 手筋には、多かれ少なかれ、盲点や意外性があるものです。(大窪一玄)
◎ 手筋に断点の味が絡んでくるのは毎度のこと。切りこそ変化の根源といってもいいでしょう。(工藤紀夫)
◎ 碁は石の接触するところすべての場合が手筋の戦いなのである。手筋そのものが碁かもしれないぐらいである。(前田陳爾)
◎ 碁では、直接働きかけないで自分の欠陥を補って、それで相手を「ニラミ殺し」にする筋もある。自分から仕掛けないで、黙って自分のキズを補うだけで相手が死ぬ「沈黙の筋」です。(藤沢秀行)
◎ 裂かれ形のときは、少しでも相手の石から離して打つのが良い。(曲励起)
◎ ただ形だけを覚えていると大変なミスをおかしかねないのです。実戦においてその状況がどういう意味を持っているのか、どのように今後進展していくのかなどをよくキャッチしていなければなりません。(曲励起)
◎ 形が似ているという安易な記憶法は禁物です。わずかの違いで大きな差の生ずるのが碁です。(岩本薫)